寺宝・文化財
「本堂」
渡海文殊群像(とかいもんじゅぐんぞう)
国宝
獅子に乗る文殊菩薩を中心として、向かって左に維摩居士(最勝老人)と須菩提(仏陀波利三蔵)、向かって右に獅子の手綱を持つ優填王と先導役の善財童子、四人の脇士を伴う「渡海文殊群像」は、雲海を渡り、私達衆生の魔を払い、智恵を授ける為の説法の旅に出かけているお姿です。
- 騎獅文殊菩薩像
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御本尊の文殊菩薩は獅子に乗られ、右手は「降魔の利剣(ごうまのりけん)」という剣を持ち、左手には慈悲・慈愛を象徴する蓮華(ハスの花)を持たれています。文殊菩薩の胎内墨書銘より、建仁三年(1203)の大仏師・快慶の作と判明しています。
木彫極彩色の騎獅像は、高さが約7mあり日本最大です。
- 善財童子像
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文殊菩薩に向かって右側に立つ善財童子(ぜんざいどうじ)は、「華厳経」入法界品に登場する純粋可憐な童子で文殊菩薩の教導を受け仏の悟りを得るために、53名の善知識を歴参することで知られています。渡海文殊群像では先導役となっており、お顔が正面を向いていますが、本来は文殊菩薩に呼び止められ文殊菩薩を振り返りながら見ているお姿をされています。
- 優填王像
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文殊菩薩が乗る獅子の手綱を持つ優填王像(うでんのう)は西域・優填国の王であったと伝えられています。華厳経の新訳本が優填国の僧によって成されるなど、華厳経と優填国には密接な関係にあることから執り入れられたものと思われています。
- 維摩居士像
(最勝老人) -
文殊菩薩に向かって左後ろに立つ老人像は維摩居士(ゆいまこじ)と呼ばれる像です。「維摩経」によると維摩居士が病気であった際、お釈迦さまが文殊菩薩を見舞いに送り、すばらしい法論が生まれたという話があります。
- 須菩提像
(仏陀波利三蔵) -
文殊菩薩に向かって左手前に立つ僧は、仏陀波利三蔵(当山では釈迦十大弟子の一人である須菩提と呼んでいる)と呼ばれる像です。バラモンの僧であった仏陀波利三蔵は文殊菩薩に言われインドから中国へ『仏頂尊勝陀羅尼経』を翻訳し広め、現在も文殊菩薩の聖地である五台山に留まっていると伝えられています。
- 釈迦三尊像
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明治維新の神仏分離によって、多武峯妙楽寺(現在の談山神社)の御本尊を引き取ったもので胎内には寛文九年(1669)の修理銘があります。
「金閣浮御堂」
- 弁財天像
(大和七福神) -
大和七福八宝霊場の弁財天です。この弁財天のお姿を八臂弁天(はっぴべんてん)と言い、八本の腕を持ち、十五人の童子を儒者として従える、真言密教に伝わるお姿をしています。
- 安倍晴明像
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安倍晴明は当山で生まれ天文観測をしたと伝わる陰陽師です。陰陽道の祖としても知られており、当山は安倍一族の寺として安倍晴明信仰の聖地の一つに数えられております。安倍晴明像は晴明社の主神として古来より祀られており、現在は金閣浮御堂内に安置されています。
- 安倍仲麻呂像
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安倍仲麻呂は当山で生まれたと伝わる奈良時代の日本人の官僚です。遣唐使として中国に渡り、科挙に合格し玄宗に仕えました。現在の安倍寺跡の横に仲麻呂屋敷があったと伝えられており、室町時代から祀られてきた安倍仲麻呂の坐像は、現在は金閣浮御堂内に安置されています。
- 秘仏十二天
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十二天とは仏教の法を守る守護神です。
十二天は四方(東・西・南・北)と、四隅(東北・東南・西北・西南)の八方、天と地、日と月、すべての方角を司ります。
仏典によると十二天を含む天部衆はもともとインド神話の神様で魔物退散や戦勝を祈る気性の荒い神々が多かったのですが、仏陀(釈尊)の威光にひれ伏して仏法の護法善神になったと説かれています。
「文殊院西古墳」
- 西古墳
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西古墳は、飛鳥時代に造立されました。国の指定史跡の中で特に重要である「特別史跡」に指定されています。古墳の特別史跡指定は全国でも数件で、明日香の石舞台古墳、キトラ古墳、高松塚古墳と共に、当山の境内には二か所の史跡指定古墳を有します。この西古墳の内部は、大化元年(645)当時のまま保存されており、石材は良質な花崗岩を加工し、左右対称に石組みがされています。また玄室の天井岩は一枚の石で、大きさは15㎡あり、中央部分はアーチ状に削られています。古墳内部の築造技術の美しさは日本一としても定評があります。現在、この古墳には弘法大師が造られたと伝わる「願掛け不動」がお祀りされていますが、本来は大化元年に初の左大臣となり当山を創建した安倍倉梯麻呂の墓と伝えられています。
「白山堂」
- 白山堂
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白山堂は、室町時代に建立されました。流造屋根柿葺(こけらぶき)で美しい曲線の唐破風をもった社殿で、国の重要文化財にも指定されています。御祭神は全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神である菊理媛神(くくりひめのかみ)で、当山の鎮守です。白山信仰と陰陽道は古くより深く結びついた為、安倍晴明ゆかりの当山に白山神社の末社が勧請されました。菊理媛神は『日本書紀』によると伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の縁を取り持たれた神様で、菊理媛の「くくり」は「括る」にもつながり、古来より縁結びの神様としても信仰されています。「縁」は巡り合わせでもあることから、人と人を結ぶ良縁成就も御祈願下さい。